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新花巻駅通過を認めてから暫くしてこまうさぎ氏を起こし、9時22分、定刻に僕たちは盛岡駅へと降り立った。東京を6時4分に出たやまびこ41号がたった4分前の9時18分に着いただけだから、郡山も福島もすっ飛ばして走ったはやて1号の駿足に恐れ入るばかりだが、何故か僕は、きちんと身も心も盛岡に居る。
意味がお分かりになる方は少ないと思うので解説をしておくと、僕は普段、新幹線で長距離移動した後は必ず、「もう着いてしまったのか!」という気分になり、体こそ目的地に着いているのだが、心はまだ出発地との中間点辺りをウロウロ彷徨っている事が多い。而るに、今回はきちんと心が着いて来てしまったのだ。。 |
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良い事なのかも知れないが、最近、新幹線を利用する機会が昔に比べて増えたので、体が慣れてきてしまったのかも知れない。少し悲しい気がする。
ここからは花輪線の旅路だ。しかし、盛岡から花輪線起点の好摩までの4駅区間21.3kmは、IGRいわて銀河鉄道上を走る。と言うと、花輪線という居候が線路を間借りしているようだが、先述の理由で、3年前までここはJR東北本線だったのだ。現在、盛岡から花輪線に入るには、どうしてもIGRを経由せねばならないので、例えば青春18きっぷなど、JR区間のフリー切符でこの区間を乗車する事はできず、好摩までの運賃を別途払わねばならない。
こういった処置を見ると、先述のように、僕としては居た堪らなくなる。繋がっていたはずの(正確に言えば今でも繋がっている)路線を切り刻み、乗客に不便を掛けた上でさらに別途料金を徴収するなど、鉄道先進国・日本として、断じてやって良い事ではない。再度の意見になるが、これだけはどうしても納得できないのである。 |
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そんな不満を抑えつつも、僕はホームに向かったが、3輌連なったキハ52の編成を見ながらホームを歩くうち、苛立ちは少しマシになった。特に、先頭はクリームとベンガラのツートンカラーに塗り分けられた国鉄色である。僕はいつものようにはしゃいで「よし、先頭だけ色が違うやろ?あの車輌に乗るぞ!席は空いてるかな、まだ時間帯が早いから、多分大丈夫だと思うけど、ボックスシートが取れるか……」などと捲し立てるのを、こまうさぎ氏は微笑を湛えて見ている。ただ、この微笑が「ホント、子供なんだから」なのか「ま〜た始まった!」なのかは、僕には知る由もない。
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乗車率はさしたるものでなく、無事ボックスシートを確保してから、昭和41年の製造以来走り続けているキハ52の先頭を眺める。既に発車時刻が迫っていたが、こまうさぎ氏も降りて写真など撮っている。最近は僕の悪影響が彼女にまで伝播してしまったようで、良いアングルを求めて走り回る時間は彼女の方が長いくらいである。尤も、これだけ鉄道ばかりの旅をしていたら、そうなってしまうのが自然なのかも知れないが。
盛岡を出ると間もなく、僕の大好きな区間だ。列車は右手に優美な曲線を描く姫神山、左手には力強い稜線の岩手山を見ながら走る。姫神山とはよく言ったと思う名で、標高も1124mと高くないが、山容が穏やかであり、この地に住んでいた人々が、山に天女が棲むと想像したとしてもおかしくない。 |
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反対に、岩手山はつい数年前にも爆発した活火山であり、ゴツゴツとした表情だ。噴煙は噴き上げていないが、山頂付近の雪が融けている事からも、火口付近は噴き上げる蒸気などのせいで加熱されている事が見て取れる。左下の写真でもお分かりのように、岩手山は標高2千メートル超えの山だから、山肌は雪が覆っていて当然なのに、頂部だけが不自然にも雪に覆われていないのは、地面が温かいからであろう。
注目すべきは山だけでない。東京ではもう散ってしまった桜が、この辺りでは今が盛りとばかりに咲き乱れている。僕たちは今日、弘前城公園内で桜を楽しもうと思っているが、この分なら大丈夫そうだと話し合う。実際には、大丈夫そうどころか、最も美しい時期に訪れたのであった。 |
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好摩から花輪線区間に入ると姫神山は後方に流れ去ってしまうが、岩手山の方は、かなり長い間左に見ながら走る。それもそのはずで、地図を見てみるとお分かりのように、花輪線は岩手山の山麓を巻き込むようにして走っているのだ。盛岡からの距離で言えば松尾八幡平付近までの約40kmで、この間、ほぼ全区間から望む事ができる。
しかも、様々な角度から眺められるので、その時々で山の表情が変わる。何しろ、盛岡から見た時と安比から見た時では、山をほぼ反対の位置から眺める事になるのだ。
春を迎えて田畑にはトラクターが繰り出し、田に水を引く水路の掃除をする人の姿も見える。もう水を溜めた田も見受けられた。 |
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僕が初めて花輪線に乗ったのはJR全線完乗の旅で、今回が2度目である。前回は、運転士が喫煙するわ、雨で車窓は滲んで見えにくいわ、ちょっと印象の薄かった路線なのだが、今回は幸先の良いスタートである。
好摩から5つ目の松尾八幡平駅では、対向列車待ちの為に5分程停車する。時刻表からそれは分かっていたのだが、いざ着いてみると、反対列車が遅れている為に待ち時間はさらに長くなるとの見込み。これ幸いとばかり、こまうさぎ氏を促してホームに出てみる。同じ事を考えている人は多く、ホームは写真撮影をする人や煙草を吸う人でごった返す。しかし列車は国鉄色だし、辺りの雰囲気としては数十年前から何も変わっていない。変わっているのは、乗客の服装や所持品だけだ。 |
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駅には大きな桜の木があり、やはり今が花盛りである。間もなく、山裾に沿ったカーブの向こうから、やはり国鉄色のキハ52を先頭とした2輌編成がやって来た。
松尾八幡平を出た列車は、左手に安比高原のスキー場を見ながら走る。スキー場は、冬に見るとどこにあるのか分かりにくいが、このシーズンだと非常に分かり易い。積もった雪はかなり融け始めているのに、山肌に真っ直ぐな雪の帯が幾本も見えるからである。
雪が消え去ったばかりの山の色も良い。まだ鮮やかとまでは言えないが、もう間もなくあちこちから木々の息吹が聞こえてきそうな色である。その中に桜が混じっていたりすると、いやにも増して風情がある。 |
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と、いつの間にやら川の流れが逆になっている。これまでは北上川水系だったので進行方向と逆に川が流れていたが、今は進行方向に向かって流れている。まだ岩手と秋田の県境は過ぎていないのにおかしいな、と思って地図を見てみると、この辺りは分水嶺が複雑に入り組んでおり、県境は分水嶺と無関係に引かれている事が分かった。花輪線の分水嶺は、横間駅を出て暫くすると入る藤倉トンネルで、ここを抜けると秋田県能代市に注ぐ米代川の水系となる。
兄畑駅を出ると秋田県に入り、1つ目が湯瀬温泉駅だ。湯瀬温泉は、今回の旅の宿泊地候補にもなっていた所で、理由は僕が前回花輪線に乗った際、雨の中に佇む湯瀬温泉街の居住まいが好もしく思えたからである。 |
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しかし晴天の下で通ってみると、近くを川が流れ美しい新緑に囲まれているだけで、何の事はない、湯瀬温泉はどこにでもある温泉街にしか見えなかった。旅で受けた印象などというものは、かくも当てにならぬものである。 次の八幡平駅には、今は使われなくなったホームに桜が並木のように植えられていて、やはり満開を迎えている。行く所行く所桜で、この分だと弘前は素晴らしいだろうと思う。
この駅の付近で、米代川は幾本かの支流と合流し、大きな流れとなって下ってゆく。
十和田南で方向転換するが、以降の車窓には大して見るべきものもない。僕は、窓の外を眺めているだけで幸福だから良いが、こまうさぎ氏は再び眠りこけてしまう。 |
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大館には定刻の12時42分に到着。ちょうど昼飯時であり、僕たちは駅弁屋に向かった。
ここ大館駅の「鶏めし」は、日本に数ある鶏めし駅弁の中でも一二を争う美味さで、ファンは多い。鶏めしの美味さの秘訣は、地元特産の比内地鶏の肉を使っている事。しかも、駅弁屋さんは必ず保温ケースに入れておいてくれるので、温かいまま食べられる事も大きい。
駅前に立つ忠犬ハチ公像などを一通り見てから、13時ちょうど発の奥羽本線下り普通列車青森行きに乗車し、早速弁当の包みを解く。僕は2回目だがあの時と同じ味に舌鼓。鶏だけでなく、ご飯も美味い。こまうさぎ氏も「これは美味しいね!」と上機嫌だ。こまうさぎ氏も、僕の影響か大の駅弁好きである。 |
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弘前到着は13時43分。新しくなった駅舎は、完乗旅行の時にちょうど建て替えられていた記憶がある。
早速、弘前城へと足を向ける。気温は暑くもなく寒くもなく、風も心地よい。弘前城までは駅から2km弱でバスも出ているが、この気候なら歩いた方が良い。
弘前城までは駅から真っ直ぐなので迷う心配もない。外濠に突き当たったので右に折れ、東門から弘前城に入る事にする。この道は、当にトンネルの如く濠に沿って並んだ桜の下を通るので、見上げれば青空をバックにした桜花という贅沢な構図が、何百メートルにも亘って続く。
濠に沿って植えられた桜は相当な本数で、どの木も濠の上に張り出しており、風に吹き落とされた花びらが濠の上に浮かんでいるのも美しい。 |
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ちょうど今が満開から散り始めの頃のようで、これは例年に比べて遅いという。リヤカーでアイスを売っているおかーさんに聞いた話に依れば、「GWには殆どの桜が散っておりいつもは葉桜なのに、今年は運が良い」との事。本当に、良い日を選んで来たと思う。
おかーさんから買ったアイスを食べながら場内へ入る。ここまで来るとさすがに大勢の人集りで、芝生の上には所狭しとビニルシートが敷かれて花見の客が宴に興じている。それにしてもスゴイ人だと思ったのだが、後から知った情報に依れば、何とこのGW中、日本中で最も多くの人を集めたのが弘前城公園だったのだそうだ。
内濠に沿って歩くと、ここも濠に張り出した桜の枝が、水面を白く染めている。石垣と桜との対比も目に快い。
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記念撮影をと思うが、何しろ物凄い人なので、それもままならない。殊に、内濠に架かる朱塗りの反り橋の上は、濠沿いに並んだ桜を一望できるポイントなので、2,30mの短い橋なのに渡り切るまでに数分を要する程である。
それにしても日本人は桜好きな民族だ。ソメイヨシノは国花にもなっているし、日本中で桜並木が見られない地方など稀であろう。桜並木があるから春に人がそこへ集まるのか、人々が桜好きだから桜並木がこうも数多いのかと考えてみるのは、鶏と卵の話のようだが、僕は両方なのだろうと思う。
とは言うものの、僕だって桜が見たいからここに来た訳で、微風の度にはらはらと舞い散る桜の下で、日本の春を愛で、また旅にある我が身を感じる事ほど、僕にとって心休まる時間はない。 |
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天守閣へは入場料が要るので橋の袂で引き返し、外から眺めるだけに留める。弘前城は津軽藩の初代藩主・津軽為信によって計画され、二代・信枚により1611年(慶長16)に完成したものだが、津軽藩は10万石であり、藩としては小さい方なので城の規模としては大きくなく、2つある天守も3層であるから、5層の大阪城や姫路城を見慣れている者にとっては、田舎の山城のようで好ましい。しかし山高き故に尊からずであり、敷地面積はこの規模の城郭としてはかなり広い方で、そこへ何万本となく植えられた桜の美しさは、白鷺城の異名を持つ姫路城も、易々とは敵うまい。
それにしても、やはり感じるのは敷地の広さで、10万石程度の小藩が、これだけの面積の城を維持できたのだろうか。それだけでなく、城本来の用途を迫られた時、則ち戦の時には、人手不足に悩みそうな気がするのだが、どうなのだろう。 |
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因みに弘前城は、昔のままの天守閣を持つ城としては日本最北端にある。先の例に出した大阪城も、鉄筋コンクリート製で中にはエレベーターまで設置されているので、「昔のまま」とは言い難い。そうした基準で「天守閣を持つ城」を選ぶと、日本中でも該当するものはたったの12しか無いらしい。
僕たちは西濠沿いの桜並木を通り、城内に立ち並ぶ出店を見物したりしてから、足を休めるべく近くのカフェに入った。こまうさぎ氏はシフォンケーキとホットコーヒーを注文したが、ケーキはなかなか美味かった。僕は今まで、喫茶店など必要ない、コーヒーが飲みたければスーパーで買って公園かどこかのベンチで飲めばよいと思っていたが、カフェ巡りの好きなこまうさぎ氏と旅をするようになってから、考えが変わりつつある。 |
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まだ時間があるので、弘前の夏の風物詩・ねぷたの歴史や山車を展示した資料館に足を伸ばす事にした。
途中、また外濠の側を通ったのだが、水の澱んでいる所には、散った花びらがびっしりと浮かんで、当に絨緞のような有様になっている。こまうさぎ氏は興味津々、
「うわ〜、すごいね、これ。何だか上に乗っても大丈夫そう。」
などと言いながら、水の見えない程に花びらで埋まった水面をしげしげと見つめる。端から見ていると、こまうさぎ氏なら本当にこの上を歩いてしまいそうな気がしたのだが、まさかそんなバカな事はなく、落ちている小枝で水面を引っ掻き回す。何度もやっているうち、とうとう絨緞に穴が開いた(左下の写真参照)。僕としては、白い絨緞の上にナマコが浮かんでいるようにしか見えないが。 |
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弘前の夏祭りは、ねぶたではなくねぷたと発音するのが正しい。青森市のねぶたは全国的にも極めて有名で、その名を知る人も多いだろうが、弘前のねぷたも、語源は同じようだ。
実はその語源、何と「眠たい」らしいのである。これを津軽の人々は「ねぶてぇ」或いは「ねぷてぇ」と発音するのだが、これがさらに訛って「ねぶた」「ねぷた」になったというのだ。祭りの由来も、農繁期である夏に襲ってくる睡魔を追い払うところにあり、その頃のスタイルは今のように雄壮なものでなく、睡魔を笹舟や灯籠に乗せて川に流すというものであったそうだ。 |
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つまり、元々は小さな夏祭りだったものが、徐々に発展して今のような形になったらしいのだ。語源が同じなら「ねぶた」でも「ねぷた」でも良いようなものだが、それはイタリア語もフランス語も、語源はラテン語なんだから、ヨーロッパ人は皆、ラテン語を話せば良いと言っているのと同じである。やはり、弘前の人々は「ねぷた」に命を燃やしており、まず、山車の形からして大きく異なる。
青森のねぶたは、山車そのものが武者や龍の形をしているが(組みねぶた)、弘前ねぷたの形は扇であり(扇ねぷた)、そこに武者や龍の絵が描かれている。上部構造、則ち扇形の部分は回転させる事が可能で、町を練り歩きながら扇が緩やかに回る姿は、考えただけでも壮麗だ。 |
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