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リゾートしらかみ青池編成


1日目  花輪線と弘前の桜
千畳敷にて
 2004年のゴールデンウィーク、僕とこまうさぎ氏は初めて2人で旅をした。それが「サンライズ乗って、四国行こう。」である。
 四国に渡った事のないこまうさぎ氏を案内する意味も込めて、また、僕の四国全鉄路乗破もあって(正確に言えば、四国ケーブル八栗鋼索線は未乗だが)、3泊4日での旅をした。鳴門、大歩危、四万十、宇和島、下灘、道後と、四国を代表する名所ばかり訪れる豪華な旅だった事もあり、実に思い出深いものとなっている。
 さて2005年のゴールデンウィークはどうするかと考えるに、まだ2人で訪れていない場所に行こうという事になった。順を追って書けば、四国、関西、沖縄、九州、北関東、北海道と、かなり全国に足を伸ばしている僕たちだが、まだ行っていない場所があった。
……東北。

 僕自身、東北はかなり手薄である。JR全線完乗の旅でも目的地は東北であり、如何に今まで行った事が少ないかを物語っている。昨秋には花咲く旅路で鳥海山に登り、帰りがけに由利高原鉄道を乗破したが、これは一人で行ったもので、こまうさぎ氏を伴っていない。
 東北と言えば、行きたい場所が多い。そもそも、行った回数が少ないので、未消化な地なのだ。旅に先立っての打ち合わせでは、夏油温泉や乳頭温泉でゆっくり温泉に浸るも良し、尻屋崎で本州最涯地の長閑な情景を味わうのはどうか、津軽鉄道に乗ってみるのも面白い、いや、三陸海岸を巡ってリアスの断崖を眺めるか、或いは龍泉洞も捨て難い……などと時刻表を見ながら語る僕を、昨年と同じようにこまうさぎ氏は見つめているが、昨年より僕の扱いには習熟なさっているので、ちょうど良いタイミングを見計らって「五能線と花輪線に乗りたい」との希望を出した。
 これで旅の骨格は決まった。花輪線も五能線も、僕は先述のJR全線完乗の旅で乗破したのみであって、ゆっくりとした旅をしていない。今回は日程上2泊3日が最大なのだが、この2線を巡るなら時間的にもちょうど良い。
 その上で僕が立てた行程は、東北新幹線で盛岡まで北上してから花輪線で日本海側に出て弘前の桜を見物し、五所川原泊。翌日は津軽鉄道を往復してから五能線に入って深浦を観光し、艫作泊。その翌日は千畳敷を観光して五能線で南下し、秋田から秋田新幹線に乗って帰途に就く、というものである。
 使用する切符は「ふたりの北東北・函館フリーきっぷ」。この切符、同一行程を男女がペアで旅する場合にのみ使用でき、有効期限は4日で\48,000。今回の旅は3日間なので1日余る計算だが、充分にモトが取れる。しかも特急・新幹線であれ指定席にも乗車できるから、ゴールデンウィーク中にはもってこいだ。
 因みに、この旅のタイトルである「津軽二昧線」は、「つがるりゃみせん」と訓む。



 2005年5月3日、僕たちは5時起きで身支度を始めた。こまうさぎ氏は寝起きの悪さに格別のものがあり、当に宮脇先生と「旅の終わりは個室寝台車」の旅に同行した編集者・藍氏によく似ている。しかしこの日は、旅に行けるという精神力の根源に訴えかける目的があるからか、こまうさぎ氏は早急に行動を開始した……ように思う。
 6時前に最寄り駅から東急田園都市線に乗り込み、二子玉川で大井町線、大井町で京浜東北線と乗り継いで東京駅に着いたのが6時48分。新幹線のホームに行くと、既に「はやて1号」は入っている。
 僕たちは昨夜のうちに朝食をスーパーで買っておいたのだが、ホームには駅弁屋がもう店を出している。こちらにすれば良かったかとも思ったが、東北への旅の始めに東京駅の駅弁を買ってもどうかと思うので止めておく。
はやて1号のマスク
 6時56分、定刻にはやて1号は東京駅を発車した。

 東北新幹線に乗るのも、完乗旅行以来だ。それも『新幹線にも乗らなければ完乗にならないから仕方なく』乗ったのであり、新幹線に乗らないと時間的に厳しいとかいう理由があった訳ではなく、乗る必然性は無かったのに乗ったと言って良い。
 しかし、新幹線はほぼ全線が高架かトンネルであり、トンネルはともかくとして高架区間からは在来線より遙かに眺望が開ける。あっという間に通過してはしまうが、車窓風景に集中してれば、日本地図を眺めているような気になるに違いない。
 そう考えた僕は、朝食のパンとジュースを片付けた後、テーブルを下ろして地図を広げた。僕の愛用している帝国書院発行「旅に出たくなる地図」である。この地図は名前からすると、旅の初心者向けの概略地図で、観光名所だけがピックアップされているのではないかと思われるかも知れないが、なかなか、見かけに依らず、実に質の良い地図帳である。
 まず、地名索引に65ページを割いているから、地図中に載っている地名は全て索引で調べられる。これは非常に有り難い。さらに、都市部に詳細地図が付いているのは勿論、それ以外の地域も、鳥瞰図や拡大図を適宜付しているから、「痒いところに手が届く」という表現が合う。
 旅に出る度にあちこち引っ張り回しているし、地理を教える可能性がある際には家庭教師のバイトにも連れて行くので、ページの端は手垢で汚れ、使い込んだので角は丸くなって毛羽立ち、水に濡らしてしまった事もあるのでその痕跡が各ページにあるが、本当によく働いてくれる良い地図である。本気で日本地理を勉強したい方には、是非お勧めしたい一冊だ。
 ただ、たった1つだけ難点がある。それは、この地図を見ていると本当に「旅に出たくな」ってしまう事。僕などは、そうでなくても旅に出たくなる発作が出やすい体質なのに、この地図帳はそんな心の暴発を見事に擽ってしまうのだ。

 それはともかく、大宮を出た辺りから地図で列車の現在位置を追跡する。僕は通路側に座っており、こまうさぎ氏に「もうじき利根川を渡るよ」などと言いたいところだが、彼女は既に大宮の手前から眠っている。宮脇先生は、女性は旅に連れて行き甲斐が無いと憤慨しておられたが、こまうさぎ氏は昨日も遅くまで仕事だったので仕方ない。僕はと言えば、昨日は平日のはずが、丸一日大学に行く必要もなく、何と4月29日から7連休だったのだ。昨日は鹿島鉄道や鹿島臨海鉄道を乗破したが、日帰りだったので疲れるはずもなく、実に快調である。
 あっという間に関東平野は尽き、地平線に足尾の山々が見え始めるた。地図を見ていると、山々の裾野の輪郭が地図で見る通りの形であり、刻々と場所は変わっても、現在位置を見失う事がない。はやて1号は大宮を出ると、次は仙台まで止まらない。「郡山も福島も通過するんです、すごいでしょう」などと宮脇先生風に自慢したいが、こまうさぎ氏は眠り続けているので、一人、車窓に見入る。
 宇都宮台地に入ると、水田が目立ち始めた。関東平野は富士山の火山灰が堆積した赤土質の関東ローム層なので水はけが良く、水田には向かないから、つい先程までは耕地と言えば畑ばかりだったのだ。それにしても、関東平野を出外れるのとほぼ同時に、農業用地の土地利用までこうもガラリと変わるとは知らなかった。こうした発見は、新幹線ならではのものである。在来線では所要時間が長いので、ずっと車窓に集中していられないから、「いつの間にか変わったなぁ」と思うのが関の山である。
 田に張られた水には一寸の揺るぎもなく、水鏡が遠い山の山容まで映し出している。日本の初夏らしい風景だ。
那須野を通過。那須岳が美しい
 8時前には、那須野を抜けて福島県に入った。東京からまだ1時間である。在来線なら少なくとも3時間は掛かるから、やはり新幹線の速さには脱帽してしまう。今回も新幹線を利用できなければ、2泊3日で北東北を巡る旅など思いもよらなかった。7時59分、新白河駅を通過からたった7分後、8時6分には郡山も通過する。
 早い。在来線ではこの区間に30分掛かるから、4倍以上の表定速度という事になる。
 さて、郡山を出るとすぐ、左手の車窓に安達太良山が見えてきた。安達太良山は標高1709mなので、特別に高いという訳でもないが、日本百名山に選ばれている山であるし、僕の中では「東北の入口」的存在であるので、こまうさぎ氏を起こす。この山だけは見ておいてくれと言いながら、自分も、まだ山頂に雪を頂いたその姿に見入る。
 今日は見事な晴天なので、稜線もくっきりとしている。前方には吾妻山も見え始めた。こちらも日本百名山に入っている。
 因みに、日本百名山は深田久弥氏が同名の著書中で紹介した山々で、「品格」「歴史」「個性」の三見地より選ばれたようだ。かなりの関東贔屓ではあるものの(西日本:東日本=13:87)、選ばれている山々は、確かにどれも一度は登ってみたい山ばかりである。ただ、関西人にしてみれば、比叡山も高野山も入っていないのかと言いたくなるし、個人的な意見とすれば、大峰山や若草山、吉野山も、日本の長い歴史と密接に関わっている山であるから、百名山に入らない訳はない、是非入れて頂きたかったと思う。
 確かに、選ばれている山々は「標高」の点で僕の呈示した山々に優っているが、「品格」「歴史」「個性」で選んだのだとすれば、失礼を承知で言うが、常念岳や笠ヶ岳、平ヶ岳に巻機岳など、何故選ばれているのか分からない。僕の勉強不足なのだろうが、これらより、今僕が挙げた山々の方が、「品格」「歴史」「個性」の三点では優っているように思えてならない。

蔵王の山並みが見えてくる
 閑話休題。はやて1号はそんな吾妻山をも後方に見やりながら8時16分、福島を通過した。
 7分後には白石蔵王を通過する。左の車窓には蔵王山が見えてきた。スキーのメッカ・蔵王高原はこの山の向こう側である(僕はスキーをしないが)。地図で見る限り、蔵王山は多くの山々が尾根伝いに連なっており、車窓からは不忘山、屏風岳、後烏帽子山が見えそうであったが、実際に見てみると、尾根が連なっている事はよく分かるものの、どれが不忘山なのか屏風岳なのか、区別が付かなかった。
 この付近は、東北本線で通ると景観の美しい区間なのだが、新幹線は多くをトンネルで通過してしまうのでその楽しみもない。暫くすると右手から東北本線が寄り添ってきて、街並みも農地が少なくなり高い建物が増え、東北地方第一の都市・仙台に到着した。

 仙台で先発のやまびこ43号を追い越す。
 ここから先は、またまたトンネルが多くなる。利府の車輌基地を過ぎると東北本線と分かれてほぼ真北に向かい、古川で陸羽東線と交わる。約10km東には小牛田という、昔から機関区を持った東北本線の中心駅として栄えてきた町があるのだが、新幹線はショートカットする為に小牛田を通らなかった。以後、古川には住宅地ができて市制を布いているが、小牛田は町のままである。
 日本各地が新幹線を誘致しようという理由は斯様(かよう)なものだろうが、残念ながら、これは極めて早計な考えとしか言い様がない。実名で例を挙げては申し訳ないのでイニシャル表示にしておくが、例えば東海道新幹線のM.A.駅やG.H.駅、山陽新幹線のH.H.駅やS.I.駅、北陸新幹線のA.H.駅など、「早計な考え」の下に造られて無惨な事になっている駅は多いのである。
 また、今後新幹線が造られれば、併走するJR路線は8割方が第三セクター化される事が決まっている。それは別に良いではないか、鉄道そのものが存続するのならば……と思われる方が居られるかも知れないが、そうではない。第三セクター化された場合の運賃は、JR時代より大幅に引き上げられる。
 日本各地の例を見てみよう。JRの場合、30kmで運賃は\480であるが、IGRいわて銀河鉄道は\900(青い森鉄道は全長が30kmに満たないので比較できないが、20kmで\550)、しなの鉄道は\530、肥薩おれんじ鉄道が\730となっており、その度合がお分かり頂けるだろう。しなの鉄道のように、新幹線ができた後も利用客が見込まれる鉄道の場合は運賃がさして引き上げられないのだが、地方路線になればなるほど、運賃は高くなる傾向がある。
 これはものの道理である。発行部数の少ない本は高く、滅多に破損しない部品の交換は取り寄せ費用が自分持ちになる、など、実に一般的な話だ。
 しかし、鉄道でそんな事が行われて良いものだろうか。無論、JRも、北海道や九州と本州では運賃が異なっている。本州3社(JR西日本、JR東海、JR東日本)の初乗りは\140だが、他の3社(JR北海道、JR四国、JR九州)は\160となっている。
 しかし、その程度であれば許容範囲というものであろう。ただ、これが2倍、3倍になればどうだろうか?郵便や宅急便は、離島など余程の僻地を除いて一律料金で届けられるというのに、鉄道だけは数倍の運賃が掛かる。これが社会のあるべき姿と言えるだろうか。
 北海道に新幹線を誘致しよう、鹿児島まで新幹線を延伸させようと声を掛けるのは大いに結構である。しかし、その後の問題として、地元民に今までの数倍高額な第三セクターの料金を押し付けて良いのだろうか。僕は絶対にそんな事があってはいけないと考える。
 そこで僕が声を大にして言いたいのは、「新幹線を造って在来線の客足が衰えるくらいの区間なら、のっけから新幹線など造るな」という事である。
 新幹線ができて便利になるのは、長距離移動の客である。それは良いが、だからといって短距離移動の客の負担を増大させてどうするのか。
 また、日本国民の皆さんには、この事実を少しでも知ってもらいたいと思う。新幹線ができて在来線が3セク化されてしまってから「こんなはずじゃなかったのに」と言っても、時は既に遅い。
 僕たちは盛岡ではやて1号を降りるが、その先、八戸までの東北本線が当に、2002年12月の東北新幹線八戸延伸で3セク化されてしまった区間である。
 新幹線の誘致を票に結び付ける時代は疾うに終わった。僕は政治に疎いけれど、これだけはどうしても言いたい。もう止せ、こんな下らない事は。

北上川沿いの水田では田植えが始まっていた
 一ノ関を出ると線路は北上川に沿い始め、幾度か渡りもする。中でも、一ノ関を出てすぐに渡る第一北上川橋梁は日本最長の橋梁で、長さは3868mである(瀬戸大橋は9367mであるが、複数の橋梁が連続したものなので、単一の橋梁としては第一北上川橋梁が最長となる)。しかし注意していないと、この橋梁も時速270km/hの新幹線は52秒で渡り終えてしまう。
 それまで山に挟まれて走っているという感じの強かった線路が、花巻の辺りでは平地を走る。区画整理された圃場や緩やかな曲線を描く丘陵が、山の厳しい稜線を眺めてきた目には優しい。北上盆地に入ったからで、線路が盆地の東端に沿い、僕の席は左側なので特にそう思うのだろう。
盛岡駅に到着。啄木筆「もりおか」の文字が見える
 新花巻駅通過を認めてから暫くしてこまうさぎ氏を起こし、9時22分、定刻に僕たちは盛岡駅へと降り立った。東京を6時4分に出たやまびこ41号がたった4分前の9時18分に着いただけだから、郡山も福島もすっ飛ばして走ったはやて1号の駿足に恐れ入るばかりだが、何故か僕は、きちんと身も心も盛岡に居る。
 意味がお分かりになる方は少ないと思うので解説をしておくと、僕は普段、新幹線で長距離移動した後は必ず、「もう着いてしまったのか!」という気分になり、体こそ目的地に着いているのだが、心はまだ出発地との中間点辺りをウロウロ彷徨っている事が多い。而るに、今回はきちんと心が着いて来てしまったのだ。。
 良い事なのかも知れないが、最近、新幹線を利用する機会が昔に比べて増えたので、体が慣れてきてしまったのかも知れない。少し悲しい気がする。

 ここからは花輪線の旅路だ。しかし、盛岡から花輪線起点の好摩(こうま)までの4駅区間21.3kmは、IGRいわて銀河鉄道上を走る。と言うと、花輪線という居候が線路を間借りしているようだが、先述の理由で、3年前までここはJR東北本線だったのだ。現在、盛岡から花輪線に入るには、どうしてもIGRを経由せねばならないので、例えば青春18きっぷなど、JR区間のフリー切符でこの区間を乗車する事はできず、好摩までの運賃を別途払わねばならない。
 こういった処置を見ると、先述のように、僕としては居た堪らなくなる。繋がっていたはずの(正確に言えば今でも繋がっている)路線を切り刻み、乗客に不便を掛けた上でさらに別途料金を徴収するなど、鉄道先進国・日本として、断じてやって良い事ではない。再度の意見になるが、これだけはどうしても納得できないのである。
盛岡駅に停車中のキハ52
 そんな不満を抑えつつも、僕はホームに向かったが、3輌連なったキハ52の編成を見ながらホームを歩くうち、苛立ちは少しマシになった。特に、先頭はクリームとベンガラのツートンカラーに塗り分けられた国鉄色である。僕はいつものようにはしゃいで「よし、先頭だけ色が違うやろ?あの車輌に乗るぞ!席は空いてるかな、まだ時間帯が早いから、多分大丈夫だと思うけど、ボックスシートが取れるか……」などと(まく)し立てるのを、こまうさぎ氏は微笑を湛えて見ている。ただ、この微笑が「ホント、子供なんだから」なのか「ま〜た始まった!」なのかは、僕には知る由もない。

渋民駅には桜が咲き乱れていた
 乗車率はさしたるものでなく、無事ボックスシートを確保してから、昭和41年の製造以来走り続けているキハ52の先頭を眺める。既に発車時刻が迫っていたが、こまうさぎ氏も降りて写真など撮っている。最近は僕の悪影響が彼女にまで伝播してしまったようで、良いアングルを求めて走り回る時間は彼女の方が長いくらいである。尤も、これだけ鉄道ばかりの旅をしていたら、そうなってしまうのが自然なのかも知れないが。
 盛岡を出ると間もなく、僕の大好きな区間だ。列車は右手に優美な曲線を描く姫神山、左手には力強い稜線の岩手山を見ながら走る。姫神山とはよく言ったと思う名で、標高も1124mと高くないが、山容が穏やかであり、この地に住んでいた人々が、山に天女が棲むと想像したとしてもおかしくない。
姫神山の穏やかな山容
 反対に、岩手山はつい数年前にも爆発した活火山であり、ゴツゴツとした表情だ。噴煙は噴き上げていないが、山頂付近の雪が融けている事からも、火口付近は噴き上げる蒸気などのせいで加熱されている事が見て取れる。左下の写真でもお分かりのように、岩手山は標高2千メートル超えの山だから、山肌は雪が覆っていて当然なのに、頂部だけが不自然にも雪に覆われていないのは、地面が温かいからであろう。
 注目すべきは山だけでない。東京ではもう散ってしまった桜が、この辺りでは今が盛りとばかりに咲き乱れている。僕たちは今日、弘前城公園内で桜を楽しもうと思っているが、この分なら大丈夫そうだと話し合う。実際には、大丈夫そうどころか、最も美しい時期に訪れたのであった。
岩手山のゴツゴツとした表情
 好摩から花輪線区間に入ると姫神山は後方に流れ去ってしまうが、岩手山の方は、かなり長い間左に見ながら走る。それもそのはずで、地図を見てみるとお分かりのように、花輪線は岩手山の山麓を巻き込むようにして走っているのだ。盛岡からの距離で言えば松尾八幡平付近までの約40kmで、この間、ほぼ全区間から望む事ができる。
 しかも、様々な角度から眺められるので、その時々で山の表情が変わる。何しろ、盛岡から見た時と安比から見た時では、山をほぼ反対の位置から眺める事になるのだ。
 春を迎えて田畑にはトラクターが繰り出し、田に水を引く水路の掃除をする人の姿も見える。もう水を溜めた田も見受けられた。
松尾八幡平駅に停車中の列車
 僕が初めて花輪線に乗ったのはJR全線完乗の旅で、今回が2度目である。前回は、運転士が喫煙するわ、雨で車窓は滲んで見えにくいわ、ちょっと印象の薄かった路線なのだが、今回は幸先の良いスタートである。
 好摩から5つ目の松尾八幡平駅では、対向列車待ちの為に5分程停車する。時刻表からそれは分かっていたのだが、いざ着いてみると、反対列車が遅れている為に待ち時間はさらに長くなるとの見込み。これ幸いとばかり、こまうさぎ氏を促してホームに出てみる。同じ事を考えている人は多く、ホームは写真撮影をする人や煙草を吸う人でごった返す。しかし列車は国鉄色だし、辺りの雰囲気としては数十年前から何も変わっていない。変わっているのは、乗客の服装や所持品だけだ。
松尾八幡平駅に進入する1928D列車
 駅には大きな桜の木があり、やはり今が花盛りである。間もなく、山裾に沿ったカーブの向こうから、やはり国鉄色のキハ52を先頭とした2輌編成がやって来た。

 松尾八幡平を出た列車は、左手に安比高原のスキー場を見ながら走る。スキー場は、冬に見るとどこにあるのか分かりにくいが、このシーズンだと非常に分かり易い。積もった雪はかなり融け始めているのに、山肌に真っ直ぐな雪の帯が幾本も見えるからである。
 雪が消え去ったばかりの山の色も良い。まだ鮮やかとまでは言えないが、もう間もなくあちこちから木々の息吹が聞こえてきそうな色である。その中に桜が混じっていたりすると、いやにも増して風情がある。
八幡平駅のホームも桜満開
 と、いつの間にやら川の流れが逆になっている。これまでは北上川水系だったので進行方向と逆に川が流れていたが、今は進行方向に向かって流れている。まだ岩手と秋田の県境は過ぎていないのにおかしいな、と思って地図を見てみると、この辺りは分水嶺が複雑に入り組んでおり、県境は分水嶺と無関係に引かれている事が分かった。花輪線の分水嶺は、横間駅を出て暫くすると入る藤倉トンネルで、ここを抜けると秋田県能代市に注ぐ米代川の水系となる。
 兄畑駅を出ると秋田県に入り、1つ目が湯瀬温泉駅だ。湯瀬温泉は、今回の旅の宿泊地候補にもなっていた所で、理由は僕が前回花輪線に乗った際、雨の中に佇む湯瀬温泉街の居住まいが好もしく思えたからである。
米代川に沿う
 しかし晴天の下で通ってみると、近くを川が流れ美しい新緑に囲まれているだけで、何の事はない、湯瀬温泉はどこにでもある温泉街にしか見えなかった。旅で受けた印象などというものは、かくも当てにならぬものである。
 次の八幡平駅には、今は使われなくなったホームに桜が並木のように植えられていて、やはり満開を迎えている。行く所行く所桜で、この分だと弘前は素晴らしいだろうと思う。
 この駅の付近で、米代川は幾本かの支流と合流し、大きな流れとなって下ってゆく。
 十和田南で方向転換するが、以降の車窓には大して見るべきものもない。僕は、窓の外を眺めているだけで幸福だから良いが、こまうさぎ氏は再び眠りこけてしまう。
大館駅の鶏めし
 大館には定刻の12時42分に到着。ちょうど昼飯時であり、僕たちは駅弁屋に向かった。
 ここ大館駅の「鶏めし」は、日本に数ある鶏めし駅弁の中でも一二を争う美味さで、ファンは多い。鶏めしの美味さの秘訣は、地元特産の比内地鶏の肉を使っている事。しかも、駅弁屋さんは必ず保温ケースに入れておいてくれるので、温かいまま食べられる事も大きい。
 駅前に立つ忠犬ハチ公像などを一通り見てから、13時ちょうど発の奥羽本線下り普通列車青森行きに乗車し、早速弁当の包みを解く。僕は2回目だがあの時と同じ味に舌鼓。鶏だけでなく、ご飯も美味い。こまうさぎ氏も「これは美味しいね!」と上機嫌だ。こまうさぎ氏も、僕の影響か大の駅弁好きである。
碧い空をバックにした桜
 弘前到着は13時43分。新しくなった駅舎は、完乗旅行の時にちょうど建て替えられていた記憶がある。
 早速、弘前城へと足を向ける。気温は暑くもなく寒くもなく、風も心地よい。弘前城までは駅から2km弱でバスも出ているが、この気候なら歩いた方が良い。
 弘前城までは駅から真っ直ぐなので迷う心配もない。外濠に突き当たったので右に折れ、東門から弘前城に入る事にする。この道は、当にトンネルの如く濠に沿って並んだ桜の下を通るので、見上げれば青空をバックにした桜花という贅沢な構図が、何百メートルにも亘って続く。
 濠に沿って植えられた桜は相当な本数で、どの木も濠の上に張り出しており、風に吹き落とされた花びらが濠の上に浮かんでいるのも美しい。
桜のトンネル
 ちょうど今が満開から散り始めの頃のようで、これは例年に比べて遅いという。リヤカーでアイスを売っているおかーさんに聞いた話に依れば、「GWには殆どの桜が散っておりいつもは葉桜なのに、今年は運が良い」との事。本当に、良い日を選んで来たと思う。
 おかーさんから買ったアイスを食べながら場内へ入る。ここまで来るとさすがに大勢の人集りで、芝生の上には所狭しとビニルシートが敷かれて花見の客が宴に興じている。それにしてもスゴイ人だと思ったのだが、後から知った情報に依れば、何とこのGW中、日本中で最も多くの人を集めたのが弘前城公園だったのだそうだ。
 内濠に沿って歩くと、ここも濠に張り出した桜の枝が、水面を白く染めている。石垣と桜との対比も目に快い。
弘前城の内濠
 記念撮影をと思うが、何しろ物凄い人なので、それもままならない。殊に、内濠に架かる朱塗りの反り橋の上は、濠沿いに並んだ桜を一望できるポイントなので、2,30mの短い橋なのに渡り切るまでに数分を要する程である。
 それにしても日本人は桜好きな民族だ。ソメイヨシノは国花にもなっているし、日本中で桜並木が見られない地方など稀であろう。桜並木があるから春に人がそこへ集まるのか、人々が桜好きだから桜並木がこうも数多いのかと考えてみるのは、鶏と卵の話のようだが、僕は両方なのだろうと思う。
 とは言うものの、僕だって桜が見たいからここに来た訳で、微風の度にはらはらと舞い散る桜の下で、日本の春を愛で、また旅にある我が身を感じる事ほど、僕にとって心休まる時間はない。
弘前城天守閣遠望
 天守閣へは入場料が要るので橋の袂で引き返し、外から眺めるだけに留める。弘前城は津軽藩の初代藩主・津軽為信によって計画され、二代・信枚により1611年(慶長16)に完成したものだが、津軽藩は10万石であり、藩としては小さい方なので城の規模としては大きくなく、2つある天守も3層であるから、5層の大阪城や姫路城を見慣れている者にとっては、田舎の山城のようで好ましい。しかし山高き故に尊からずであり、敷地面積はこの規模の城郭としてはかなり広い方で、そこへ何万本となく植えられた桜の美しさは、白鷺城の異名を持つ姫路城も、易々とは敵うまい。
 それにしても、やはり感じるのは敷地の広さで、10万石程度の小藩が、これだけの面積の城を維持できたのだろうか。それだけでなく、城本来の用途を迫られた時、則ち戦の時には、人手不足に悩みそうな気がするのだが、どうなのだろう。
西濠には貸しボートが
 因みに弘前城は、昔のままの天守閣を持つ城としては日本最北端にある。先の例に出した大阪城も、鉄筋コンクリート製で中にはエレベーターまで設置されているので、「昔のまま」とは言い難い。そうした基準で「天守閣を持つ城」を選ぶと、日本中でも該当するものはたったの12しか無いらしい。
 僕たちは西濠沿いの桜並木を通り、城内に立ち並ぶ出店を見物したりしてから、足を休めるべく近くのカフェに入った。こまうさぎ氏はシフォンケーキとホットコーヒーを注文したが、ケーキはなかなか美味かった。僕は今まで、喫茶店など必要ない、コーヒーが飲みたければスーパーで買って公園かどこかのベンチで飲めばよいと思っていたが、カフェ巡りの好きなこまうさぎ氏と旅をするようになってから、考えが変わりつつある。
外濠の花びら絨緞
 まだ時間があるので、弘前の夏の風物詩・ねぷたの歴史や山車を展示した資料館に足を伸ばす事にした。
 途中、また外濠の側を通ったのだが、水の澱んでいる所には、散った花びらがびっしりと浮かんで、当に絨緞のような有様になっている。こまうさぎ氏は興味津々、
「うわ〜、すごいね、これ。何だか上に乗っても大丈夫そう。」
などと言いながら、水の見えない程に花びらで埋まった水面をしげしげと見つめる。端から見ていると、こまうさぎ氏なら本当にこの上を歩いてしまいそうな気がしたのだが、まさかそんなバカな事はなく、落ちている小枝で水面を引っ掻き回す。何度もやっているうち、とうとう絨緞に穴が開いた(左下の写真参照)。僕としては、白い絨緞の上にナマコが浮かんでいるようにしか見えないが。
花びら絨緞を棒で突くと……
 弘前の夏祭りは、ねぶたではなくねぷたと発音するのが正しい。青森市のねぶたは全国的にも極めて有名で、その名を知る人も多いだろうが、弘前のねぷたも、語源は同じようだ。
 実はその語源、何と「眠たい」らしいのである。これを津軽の人々は「ねぶてぇ」或いは「ねぷてぇ」と発音するのだが、これがさらに訛って「ねぶた」「ねぷた」になったというのだ。祭りの由来も、農繁期である夏に襲ってくる睡魔を追い払うところにあり、その頃のスタイルは今のように雄壮なものでなく、睡魔を笹舟や灯籠に乗せて川に流すというものであったそうだ。
弘前ねぷた
 つまり、元々は小さな夏祭りだったものが、徐々に発展して今のような形になったらしいのだ。語源が同じなら「ねぶた」でも「ねぷた」でも良いようなものだが、それはイタリア語もフランス語も、語源はラテン語なんだから、ヨーロッパ人は皆、ラテン語を話せば良いと言っているのと同じである。やはり、弘前の人々は「ねぷた」に命を燃やしており、まず、山車の形からして大きく異なる。
 青森のねぶたは、山車そのものが武者や龍の形をしているが(組みねぶた)、弘前ねぷたの形は扇であり(扇ねぷた)、そこに武者や龍の絵が描かれている。上部構造、則ち扇形の部分は回転させる事が可能で、町を練り歩きながら扇が緩やかに回る姿は、考えただけでも壮麗だ。
ねぷたの実演中
 僕たちのやって来た「津軽藩ねぷた村」では、そうしたねぷたの実演も行っている。ねぷたのお囃子はもとより、1時間に2回ほど、津軽三味線の生演奏も楽しめる。
 僕たちは来るのが遅かったので津軽三味線の方は見られなかったが、笛や三味線、太鼓によるお囃子の実演を見、こまうさぎ氏は法被を着て大きな和太鼓を叩かせてもらったりした。
 館内には他にも多くの展示があったが、特に僕の目を引いたのは庭園だ。展示室は3階だったが、その窓から眺めると、大きな池を持つ庭園そのものだけでなく、その向こうに見える弘前城の桜、そしてさらに向こうには、少し色付き始めた陽光を受ける岩木山の秀峰が見え、それらが一体となってこの庭園を形作っているように見えるのだ。岩木山を庭園の景観に取り込むとは何とも憎い演出である。特に、岩木山は僕も大好きな山なので、この眺めは天晴れと言うに相応しいものであった。僕は、素晴らしい景色があると1時間でも2時間でも見ていたくなるのだが、人工の庭園でそうした感情を抱いたのは初めてであった。今まで僕がこうした気分になったのは、釧路湿原や摩周湖など、自然の造形美ばかりだったのだ。
濠に迫り出して咲く桜
 ねぷた村を後にして、そろそろ今夜のお宿のある五所川原へと向かう事にする。来る時にも通った外濠の縁の道を歩いている時、何気に後ろを振り向いたら、桜並木の向こうに、頂いた雪に落日を反射する岩木山の神々しいシルエットが聳えていた。岩木山はこの辺りのどこからでも見えるし、明日、五能線の旅路も岩木山の周囲をぐるりと回るところから始まる。
 因みに今朝、盛岡を出てから見たのは岩手山であり、お間違えの無いようにして頂きたい。
 弘前を18時54分に出る青森行きに乗って、2つ目の川部で青森から来た快速深浦に乗り換えて五能線に入る。五所川原には19時37分に着いた。
シルエットは岩木山だ
 ホテルにチェックインして旅装を解いてから、夕食に出る。ホテルでもらった地図を片手に入った寿司屋は、かなり高そうだったので「お二人で1万円ね!!!」などと言われそうでちょっと怯んだのだが、店主のお薦めのネタばかりを頂くコースはネタが本当に新鮮で、アワビ、ウニ、トロもしっかり食べ、吸物も付いて3000円であった。人一倍よく食べる僕も満足するだけ頂いたのだから、この値段は妥当だろう。
 明日はいよいよ、津軽鉄道と五能線に乗る。どちらも僕は初めてではないが、大好きな路線であるだけに心の逸りを禁じ得ない。こまうさぎ氏が淹れてくれたお茶など飲みながら、一日目の夜は更けていった。


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