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第六章 ・ 台風 〜かじふち〜

 8月16日が明けたが、またもや天候が急変した。昨日の快晴がどこへやら、いつ雨が降り出すとも知れない曇天になっている。
 朝食の前に情報を仕入れたところ、もはや午後からの連絡船は欠航する見込み、との事。僕たちは午後の船で次なる目的地・小浜島に向かう予定だったのだが、波照間島に閉じこめられてしまっては大変だから、午前の便で退散する事に決めた。波照間にはもっと長く居たかったのに残念であるが、こればかりはやむを得ない。
 実はこの時、八重山には台風15号が南東から接近しており、既に本島を暴風域に巻き込みながら北上を始めていたのだ。2004年は台風の上陸数が過去最高だったが、その影響をモロに喰らった訳である。
 9時に郵便局が開くのを待ち兼ねて旅行貯金をし、僕たちと同じように予定を早めて波照間を発つ人たちと同じ車に乗り込み、港を目指した。船の出発時刻は9時40分である。

 桟橋には多くの人が詰めかけており、やはり今日は大降りになるものと予測できた。僕たちは宿の人から大体の事を聞いただけで、台風の進路などについての具体的な情報は何一つ知らなかったのだ。この時、既に台風は八重山諸島を暴風域に飲み込まんとしているところであった。
 宿を出る時に降っていた雨も、港に着いた時には止んでおり、このまま小浜まで平穏に行けるのかと思っていたのだが、そう巧くはいかないのが人生というものだろう。
 石垣からの連絡船が到着し、積み荷と客を降ろした時点で、既に出航時刻を過ぎていた。そして皆が急いで乗り込み、さぁ出発しようとした瞬間、下手くそなドラマのようだが、急に猛烈な雨脚が船を包んだのであった。
 海面は大粒の雨に叩かれて白く濁り、一気に風も強まった様子であった。船長の「マズイ、出るタイミング逃したか……」という呟きが聞こえた。
 あっという間に、窓から見える景色は真っ白になり、(あたか)も大火事の煙に包まれたようになったが、船長は決心したのか、間もなく船は波照間港を出港した。
 ところが、港内で回頭し、防波堤を出るや否や、左舷に高い波飛沫が上がるのを認めるのと同時に、ドドン!という響きが船底から聞こえ、船は物凄い勢いで波頭に持ち上げられた。船首がグッと上昇するのが分かり、次いで全体が波の上まで持ち上げられる。さらに、頂部で一旦静止した後、今度は波の谷間向けて重力の為すがままに急降下する。船内は一時的に半無重力状態となり、ジェットコースターに乗っているような気分でさえある。そして降りるところまで降りたら、またドドン!という轟音。
 船内には女性客の悲鳴が響き渡り、皆、必死の形相でシートベルトや肘掛けなどにしがみ付いている。僕も、波が砕け散る左舷の舷側から目を離さなかった。こまうさぎ氏は僕の手をしっかりと握っている。
 しかし、島を離れるにつれ波は高くなったのだが、船客の悲鳴はだんだんと鳴りを潜めた。殆ど同じ周期で、同じ大きさの衝撃が続くだけだから慣れたのだろうし、また、このくらいの揺れでは船が沈没する事など無い事を悟ったのかも知れない。こまうさぎ氏もいつしか眠り始めたので、僕も気を抜いて大揺れする船内で眠る事にした。

 気が付けば、我らが「ニューはてるま」は、石垣港に入港していた。あの猛烈な波浪によく耐えたと心の中で讃えながら下船した。波が高い事は事前に予測していたので酔い止めを飲んでいたから、僕もこまうさぎ氏も快調である。
 石垣は雨も降っておらず、波照間の大雨がウソのようだ。ここで小浜行きの船に乗り換える。小浜への船が出るか心配だったが、離島便は西表島の船浦航路が14時以降の便で欠航するのみで、あとは平常通りの運行である。
 時間が経つにつれて空は晴れてきた。12時ちょうど発の小浜島行きに乗り込むが、波の高い海域を避ける為に、竹富島を迂回する。右舷にはまた竹富島が望まれ、3日前にこまうさぎ氏と泳いだカイジ浜も見えた。
 船は竹富島の周囲に沿って150°くらい方向転換し、小浜島に向かった。到着の5分程前には、やはり右舷に嘉弥真島が望まれた。嘉弥真島は周囲2.5km程(碓氷峠の夏の計測による)の無人島であり、住む者はウサギだけという長閑な小島である。
 尚、嘉弥真島は地図などには「加屋真島」と表記されている事が多いが、地元での一般表記をはじめ、殆どの場合は嘉弥真島の表記が使われているようであるから、僕はこちらを採用する。

 さて、いよいよ小浜島に上陸した。空は晴れ、太陽も眩しく照り付け始めた。台風はどこへ行ったのかと訝しむ程の天候である。
 僕たちはこの島で丸2日を過ごす事にしているが、それは明日がこまうさぎ氏の誕生日である為だ。それ故、宿もこの旅の中では破格のホテルを予約した。
 「ちゅらさんばし 旅ぬかろい」と書かれた港事務所の建物を素通りすると、前に「南西楽園」と書かれた白いバスが停まっていた。小浜島の新鋭リゾートである「ヴィラ・ハピラ・パナ」の送迎バスである。この旅は、移動はフェリー、宿は民宿、食事も民宿で供される料理という具合に、できる限り出費を抑えるべく節約してきたが、今日・明日には僕のバイト代のほぼ一ヶ月分を注ぎ込んだ。分不相応かとも思ったが、金とはこういう時の為に貯めておくものであり、使うべき箇所ではドンと使ってこそのものである。無論、自分の手元に無い金を注ぎ込むのは論外であるけれど、手元で遊んでいる金は、こういう場面で使ってこそである。
 運転士から、このホテルには実は「ちゅらさん3」の国仲涼子、小橋賢治、子役などが泊まっていると聞いた。僕は最近、メディア全般がだんだんとキライになってきたので、芸能人に会ったところでそれがどうした、程度にしか感じなくなってしまっていたのだが、さすがに同じホテルに泊まっているとなると驚きである。かくして2日間、こまうさぎ氏と「部屋はどこだろう」などと噂しあったが、半ばどっちでも良いと思っていたし、探し回ったりした訳でもないので、一度も姿を見かけることはなかった。
 Act Against Motorizationを旅のテーマとして掲げているのに、マイクロバスは僕たち2人だけの為に迎えに来てくれていたようで、ちょっと不本意な気になる。島の北東にある港から南東にあるヴィラ・ハピラ・パナまで、歩こうと思えば歩けなくもない距離であり、何だか申し訳ないし、それ以上に勿体ないが、小浜島だけでは少し贅沢させて頂く事にしよう。
 ヴィラ・ハピラ・パナは、ゴルフリゾートであり、はっきり言って環境に負荷を掛ける事ばかりしている。だが、それを言うなら旅などする事そのものが、自分の欲求を満足させる為に不必要なエネルギーを使っているのだから、環境に負荷を掛ける行為である。だから、ヴィラ・ハピラ・パナを責める事などできない。

 運転士にホテル内へと招じ入れられ、さんぴん茶を振る舞われる。ちょうど喉が渇いていたところなので一口で飲み干すと、あっという間にお代わりを次に来てくれる。頗る気持がよい。
 因みに、さんぴん茶とは茉莉花(ジャスミン)茶の事であり、沖縄では最もよく飲まれている飲み物だ。内地でも最近は時々見掛けるようになったが、沖縄の比ではない。これは沖縄が、中国文化をより強く受けている事の表れだろう。僕は高校の修学旅行で中国に6日間行ったが、どこに行っても、必ず食前にはジャスミンティーが出された。
 ハピラとは、インドネシア語で蝶、パナとは岬の事であり、ヴィラ・ハピラ・パナ全体がインドネシア風のエキゾチックなデザインで統一されている。沖縄なのだから、純沖縄風で良いと思うのだが、日本人の海外志向は強く、沖縄でさえもこうした方向に手を出さないと成功しないのかと思う。
 しかし、デッキのプールに日が差し込み、白いパラソルが揺らぐ光景は見ていても心地よい。雲も真白く、もう雨をもたらす気配が無い事は、一瞥して分かる。手入れの行き届いた南洋植物の向こうには、穏やかな海も広がっている。
 案内されて部屋に向かう。部屋とは言っても、ヴィラ・ハピラ・パナは全室がコテージになっていて、一棟のコテージに4室から6室が入っている。僕たちのコテージは、フロントやダイニングのあるメインコテージのすぐ側に位置するコテージの2階だった。
 室内の設備に感動しているこまうさぎ氏を急かして、まずはプライベートビーチに出てみる。元々、この辺りは灌木林だったのか、ビーチから道路まで全てがヴィラ・ハピラ・パナの私有地であり、宿泊客以外は通行・使用ができないという有様である。
 ハブに注意との立て札がある道を通り、ビーチに降りた。白砂と珊瑚が美しく、エメラルド色の海を隔てて竹富島の島影も望まれるのだが、肝心の海が無い。海が「無い」などというのは不適当な表現だと思われるかも知れないが、月は昨日が(さく)(新月)なので今日も大潮であり、海岸線はビーチから遙か遠くまで引いているのだ。ビーチの監視員に次の満潮はいつかと尋ねると、20時40分頃との事。これではいつまで待っても潮は満ちないどころか、まだ13時半なので、さらに潮は引いていくらしいのだ(因みに、次の干潮は14時半頃)。このビーチでは泳ぐに泳げない事を悟り、記念写真だけ撮ってもらってビーチを後にした。

 島内の観光に予定を変更し、自転車を借りてまず向かったのはシュガーロード。小浜島は火山島なので、比較的起伏が大きい事は第四章でもお話しした通りだが、あくまでも地形は大味で、屹立した崖などはない。シュガーロードも、そうしたなだらかな地形を真っ直ぐに貫いた道である。道端には、放牧される黒牛、亀甲墓、サトウキビ、ソテツなどが、この島の素顔を物語ってくれているようだ。その坂道を、こまうさぎ氏が自転車で駆け下りてゆく。地図で確認してみると、シュガーロードは標高20mから8m程度まで下り、さらに標高30mまで駆け上がっている事が分かる。
 後ろ姿のまま小さくなるこまうさぎ氏を望遠レンズに納めてから、僕も後を追った。
 シュガーロードを登り切った所にある小浜郵便局で旅行貯金をしようと入ったら、ちゅらさんの撮影隊と遭遇した。今日は天候不順で撮影ができないので、こんな所で油を売っているのだ。視聴率を取る為にロクな知識も持たず取材をするような人間たちは本質的に好かないので、とっとと退散した。
 次いで向かったのは、その「ちゅらさん」で、ヒロインが誕生した「こはぐら荘」という設定で使われていた家。実はこの家、現役の民家であり、「個人有地につき、敷地内への立入りを禁止致します」との看板が立っている。赤瓦と植えられている植物は何となく記憶の通りだが、ガラス戸や塀、さらに全体的な雰囲気として、やはり映像と現実の間には大きな隔たりがあった。これがカメラのマジックなのだろうかと思う。
 また正面の壁には、有名な (?) 「ウェルカムですぅ こはぐら荘」の下に、電話番号まで記されていたのだが、これはどこにつながる番号なのだろう?見たところ竹富町内であることは間違いないが、ちょっと試しに電話を掛けてみる気にはなれないし、わざわざ調べる程の事でもないので省略しておく。(尚、ここに記されている電話番号は「ちゅらさん」でも、幾度か見える程度の大きさに映っている)

 大岳(うふだき)細崎(くばざき)の観光は明日に回して、今日は泳ぐ事にした。とは言っても、小浜島のビーチはどこも遠浅であり、まともには泳げそうにない。
 それならば、と僕たちが向かったのは、海水浴場になど指定されていないただの砂浜であった。そんな訳だから他に誰もいるはずはなく、僕たち2人以外は誰の姿も見えぬという海で、存分に水と戯れた。砂浜から100m程歩き、漸く膝までの水があるという状態だったが、海には多くの生物が居り、僕たちの目を楽しませてくれる。
 沖縄の海でありながら、視界に他の人の姿は全くないというような事が信じられるだろうか。これだけでも、最高の気分である。潜ってみれば、やはり色とりどりの魚たち、そして珊瑚が遠浅の海を彩っている。
 しかし、空模様が宜しくない。台風は間違いなく接近しているようで、今朝の波照間を彷彿とさせる暗雲が、西表島の方角から迫ってくるのが分かる。2人とも黒島でスコールに降られた経験があるから、雲の動きを見、少し早いが16時には浜を後にした。またもやずぶ濡れになってしまうのは御免である。
 帰りは何処にも寄らなかったので、シュガーロードもこはぐら荘も通らない。ヤマハリゾートはいむるぶしと共用の門を通って、ヴィラ・ハピラ・パナに戻った。
 小浜島の南東部には、2つの巨大なリゾートが隣接しているのだ。なぜこうした事態になったのかは知らないが、八重山でもこれだけ大規模な施設があるのは小浜島だけであろう。しかもそれが2つあるのだから、ちょっと解らない。ヤマハリゾートはいむるぶしは老舗で、今年で開業25周年だそうだが、ヴィラ・ハピラ・パナは新参者で、まだまだ歴史は浅い。リゾートという点では共通しているが、雰囲気や歴史は全く異なるこの2つが、何故同じ島で、しかも隣り合っているのか、不思議に思うのは僕だけだろうか。

 夕食の前に風呂に入ってから、コテージで寛ぐ。海の見える窓辺のデッキチェアで雲の流れを見ているが、その色は台風の近い事を伝えており、夕焼けも異様な程に美しかった。台風の夕暮れは、不気味な色に染まるものと決まっている。
 メインコテージへ出向いて夕食を取る。バイキング形式なので僕も腹一杯食う事ができた。こまうさぎ氏はデザートに腹を残しておこうと考えているが、目の前にアホ程食うヤツが居て、ソイツが「これも美味いぞ、これもいける」などと薦めるものだから、ついつい食べてしまう。
 魚のマース煮、フィレ肉のソテー、足てびち、ゴーヤーチャンプルー、もずく、蛸わさ、サラダ等、どれも美味い。デザートは泡盛ゼリー、青パパイヤのコンポート、パパイヤのパンナコッタ、カスタードプリン、紅芋ブリュレ等々。デザートを全種類食べたこまうさぎ氏につられて僕も、コーヒーを2回お代わりしながら充分に詰め込んだ。
 外はすっかりと暮れているが、雨は降っていない。コテージなので、雨に降られると戻るのが面倒になる。
 腹一杯になった僕たちは21時過ぎには眠ったが、こんな早い時刻に眠るなど僕には数年ぶりの事であり、案の定1時頃に目が覚めてしまった。外を見てみると暴風が吹き荒れ、雨も降り始めている。とうとうお越しになったか、と思う。

 台風の夜に起きているのはあまり気持ちの良いものではないけれど、眠気が覚めてしまったので起きている事にする。僕は、眠い時にしか寝ない事にしており、眠くもないのに「寝る時刻になったから」と布団に入る事は無駄だと考えている。限られた人生の中で、少しでも長い時間起きていられれば、その分だけ多くの経験ができる。睡眠は人間の生活にとって無くてはならないものであるけれど、無理にまで寝ようとは思わない。
 だから僕は、不眠症という方とは全く逆の生活を送っている。と言うより、こういう考え方だと、そもそも不眠で苦しむという事が起こり得なくなる訳だ。無論、僕は悩みやストレスなど人一倍少ないし、寝ようと思えばかなり自由な時間帯に眠れる生活を送っているからでもあろう。
 そのような訳で、ラジオの台風情報でも聞こうと、イヤホンを付けてチューニングするのだが、入るのは台湾語の放送ばかりで、日本語のチャンネルは3つしか入らない。しかも、何れも深夜放送の時間帯であるから、台風情報などやる気配もない。
 2時になれば始まるだろうと、テレビを付けてアテネオリンピックを見る。僕は、国粋主義者が異端視される(やっている事を鑑みれば当然であろう)この国に於いて、ナショナリズムの塊みたいなオリンピックが何故人気なのか分からないので滅多に見ないのだが、暇つぶしにはなる。ちょうど水泳の予選をやっていたので、見事なフォームに見入っていた。
 風は益々強まったが、何しろ今夜の宿は風で軋んだりするような造りではないから、安心して遙か8000km彼方の映像を見ていられる。でも、風音を聞きながら、ギシギシと不気味な音を立てる家屋の下で寝てみるのも、良い経験になったかも知れぬと思う。竹富島の宿で宿泊の皆さんは、今頃どうしているだろうかと思いを巡らせる。
 しかし、昔から沖縄にとって、台風との戦いは歴史とでも言うべきものであった。今でも、本土に上陸した台風で死者や行方不明者が続出する事はよくあるが、沖縄で台風に因り多数の死者が出たというような情報はあまり耳にしない。これは偏に、猛烈なる台風の威力について、長年の経験から我が身や家を守る術を知ってきた沖縄人の知恵あっての事だと思う。
 家々の造りにも、こうした経験はしっかりと活かされている。漆喰できっちりと塗り固められた赤瓦は、烈風によっても瓦が剥ぎ飛ばされないようにとの配慮だ。周囲を囲う石垣や木々は、家に吹く風を少しでも弱めるのに役立つ。屋根の高さが内地の家に比べて低い事も、空気抵抗が小さくなって風に強くなる。
 鉄筋コンクリート造りには強度の点で及ばないが、身の回りにある材料だけを使って、台風にも負けない家を如何に造るかと考えた集大成は、今でも各地で見る事が出来る。

 2時のニュースで、台風が南西諸島を暴風域に巻き込みながら北上している様子を見る。南北に長く延びた雲の帯が、八重山地方をもすっぽりと覆っている。この調子だと、明日は丸一日雨かも知れぬと覚悟する。
 因みに、琉球方言で台風は「かじふち」という。これは「風吹き」が訛ったものであろう。琉球方言では「あ、い、う、え、お」という母音が「あ、い、う、い、う」となり、基本的に「え」「お」の母音が無い。だから「かぜ」は「かじ」に聞こえるのだ。他にも、「願う」が「にがう」、「でいごの花」が「ぢいぐぬ花」、「心」が「くくる」などとなる。尚、「吹き」が「ふち」になるのも発音上の問題で、沖縄人が発音する「き」は「ち」に似ている。現に「沖縄」も平仮名表記すれば「うちなー」が適当なのだ。



 8月18日の日が明け、こまうさぎ氏は今日を以て、24歳になった。昨日までは僕と2歳違いだったが、今日からは再び3歳違いに戻る。
 朝食もバイキングであり、8時半前、2人でメインコテージに向かう。雨はまだ強かに降っており、外出する気にもなれないような状況だが、今日はそれでいい。終日、部屋でまったりしようではないかという話になる。こまうさぎ氏は、与えられた部屋が(いた)くお気に入りの様子で、ずっと暮らしたいくらいだとさえ言っている。
 朝食とは言え、一日の始まりとなる大切な食事だから、僕は目ぼしい物があればゴッソリ取ってきて食べては、また違う料理を取りに行く。普通の人は、一皿にあれもこれもと取らねばならぬ様子だが、僕の腹は、そうした七面倒くさい事をさせないで済まさせてくれるので有り難い。

 部屋に戻り、ゆったりとした時間の流れの中で過ごしていると、昼過ぎには雨も止んできた。何をする当ても無いが取りあえず外に出てみる事になり、メインコテージで軽く昼食を取ってから、中庭のプールで少し泳いだ。波が高いので海には泳ぎに行けないから仕方ないのと、こまうさぎ氏がクイックターンを教えて欲しいというので、その為でもあった。海で水泳のターンを教える事は至難の業、というより、無理であろう。
 プールから上がり、風呂に入ると、もう夕食時であった。こうして書くと、一日中食ってばかりいるようであるが、事実その通りであったかも知れぬ。
 今夜はこまうさぎ氏の誕生祝いなので、料理も少し奮発した。ついでに言っておくと僕の誕生日は7月末で、これは毎年テストシーズンの真っ只中であり、こまうさぎ氏も仕事だから、今日はその祝いも兼ねている……という事にしておきたい。僕にとってはかなり豪勢になってしまったが、そういう事情による。
 僕も大学に入ったばかりの頃は、バイト代も月1万円ちょっとであり、高校時代の貯金を食い潰しながら旅しているという有様だったから、豪勢な旅など思いもよらなかったが、少し余裕が出てくると、こうした使い方をしてしまう。しかし先にも書いたように、こうした金の使い方こそ本粋であり、遊んでいる金は適度に働かせないといけない。但し、その働かせ方にも限度があり、この限度を守らぬ働かせ方は、これまたいけない。その点、今回の働かせ方こそその妙だと思う。
 テーブルの上にはランプが灯り、鉄板が用意されてバーベキューの材料が運ばれてきた。紅芋、ゴーヤー、牛肉などは全て沖縄産だ。
 バイキングの料理も食べ放題だったので、僕はまたもや腹一杯に食ったが、ここからが今宵の本番である。
 僕はこまうさぎ氏に内緒で、バースデーケーキを注文していた。空いた料理の皿が片付けられ、従業員たちと共に、ケーキが運ばれてくる。そして、従業員の皆さんと僕とによるバースデーソングの合唱。
 こまうさぎ氏は、突然のプレゼントに恥ずかしそうだったが、歌が終わって他のテーブルのお客さんたちも拍手してくれているのを見、照れながら礼を言った。
 さて、この演出をして下さったのが、神戸出身の女性従業員・U氏である。U氏は単身、神戸から小浜にやって来たそうで、関西からの客の対応をよく任されるそうだ。以前は、彼女にプロポーズをしたいという男性が、U氏と相談の上、パフェの上にエンゲージリングを乗せて運んで来るという演出を行った事さえあるという。
 U氏は非常に面白い方なので、特に関西の方で、ヴィラ・ハピラ・パナにて何か「イベント」を行いたい際は、U氏に相談すると良い。と言うより、関西弁でこうした内容を持ちかけると、向こうが勝手にU氏に取り次いでくれるシステム (?) になっているそうだ。
 ライトアップされたプールサイドのテーブルに席を移して、カットされたケーキを食べながら暫く寛いだ後、部屋に戻った。



 翌19日、朝から台風一過の晴れ間が覗き、実に清々しい一日の始まりであった。
 今日はとうとう八重山を発つ日なのだが、その事で1つトラブルがあった。
 何度も書いている通り、今回の旅のテーマはAct Against Motorizationであり、移動手段は全て自転車か船に頼ろうというのがコンセプトであった(タクシーや送迎の車には乗っているけれど)。しかし旅の最後になって、覚悟はしていたが最も現実のものとなって欲しくない問題が生じた。
 昨日の台風で、乗船する予定だったフェリーが遅れ、その船を利用していると那覇で乗り換える予定のフェリーに間に合わぬ事が判明した。しかも、フェリーなら電話でキャンセルが可能だが、21日夜の寝台特急なはの指定券は、みどりの窓口か旅行代理店でないとキャンセルできない。
 僕は朝食後、時刻表を開いてこれらの条件も勘案の上、様々に検討した結果、結論を導き出した。
 鹿児島に上陸後、薩摩半島を周遊する予定であったが、これをキャンセルすれば遅れているフェリーに乗っても、寝台特急なはに間に合う行程が組める。しかし薩摩半島を周遊したければ、遅れたフェリーを待っていては寝台特急なはをキャンセルせねばならない。この時期の寝台列車は満員だろうから、昼行特急と新幹線で帰らねばならぬかも知れない、との考えをこまうさぎ氏と相談した結果、やはり薩摩半島には行きたいという事で、今日の夕刻の飛行機で石垣から那覇に飛び、那覇の安宿で一泊、翌日、当初の予定通りのフェリーで鹿児島に向かう、というコースを採る事になった。

 という訳で、急遽日本トランスオーシャン航空の620便、石垣空港発18時10分、那覇空港着19時の航空券を手配し、今日のフェリーはキャンセルする。久米島に行けなかったのは仕方がないが、予定のフェリーに乗れないとかなりの余分な出費を被ってしまうが、やむを得ない。
 だが、悪い事ばかりではないのだ。フェリーに乗る場合、今日は朝の内に小浜島を辞さねばならぬはずだったが、飛行機になったので昼過ぎまで居られる事になった。僕たちは折角の滞在時間延長を有効利用しようと、また自転車を借りて島内観光に行く事にした。

 まずはお隣りのヤマハリゾートはいむるぶしに保存されている、「ちゅらさん」で堺正章が運転していたこはぐら荘のワーゲンを見る。ウェザリングなのか本当に錆びているのか、ボディのあちこちが錆びていたが、まだ走るのかさえ謎である。ドラマの流れとして、今後この車が続編のちゅらさんに登場する事は無いだろうから、問題は無かろうが。
 次は島の最高峰・大岳に向かう。
 竹富や波照間では見る事のなかった急な坂道が続く。僕は変速器付きの自転車なのでスイスイ登れるが、こまうさぎ氏はポリシーなのかママチャリに乗っているので些か大変そうだ。
 道端にはやはり牛が放し飼いにされており、柵があるので道に出て来たりはしないが、摘んだ草を手で与えられる近さである。
 坂の上で僕たちは自転車を降り、背後を返り見た。今登ってきた坂が尽き、港の波止場が見え、台風が過ぎ去ってまた元のような紺碧と翠緑色に輝きだした海につながっている。水平線に浮かぶ島は竹富だろう。
 大岳の麓に自転車を停め、急な階段を昇って山頂に達した。標高は99mだが周囲は海であり、高い建物も無いのでかなり眺望が開けている。
 小浜島は火山島とは言うものの、島が火山によって隆起してできたというだけの話であり、周囲には当然のように珊瑚礁が発達している。山の上からだとそれをはっきりと認識でき、海岸線から数百メートル沖にあるリーフに波が白く砕けている様子が、はっきりと分かった。こまうさぎ氏は「波が動いてないみたい、止まってるみたい」と感想を漏らした。
 最も近くに浮かぶ小島は、小浜に来る連絡船からも見えた嘉弥真島だ。普段は無人島であるけれど、夏期シーズンはキャンプによる宿泊客も多いらしく、何人かがビジターセンターのような施設に泊まり込んでいるそうだ。尚、水は雨水に頼り、電力も自家発電で賄っているそうである。
 その向こうに浮かぶのが石垣島で、屋良部岳や名蔵湾の地形が、霞んではいたが認識できた。
 右に目を移してゆくと、竹富島が見える。こうして見ても、どうしようもない程に起伏が無く、誇張表現ではなく緑色の平板のようにさえ思える。
 南海上には黒島や新城島が見え、さらに右を見れば細崎(くばざき)・アカヤ崎と西表島の間にヨナラ水道が横たわっている。ヨナラ水道はマンタが出没する地点としてダイバーの間で有名なポイントであり、水深は浅いが潮の流れが激しい。
 折しも、小浜島の桟橋から連絡船が石垣島に向かって出航していく。船としては速いはずだが、この高さから見ていると、エンジン音なども聞こえないし、実にゆっくりと白い航跡を曳いて島を離れるようにしか見えない。
 山頂には屋根のある休憩所のような建物もあったので一服した。こまうさぎ氏に、地形の説明などをする。ここに登るのは、無論初めての事であるけれど、中学時代から何度となく地図を眺め、地理書を読んでいただけに、基本的なデータは頭に入っているのだ。

 下山して再び自転車にまたがり、次なる目的地は大岳山上からも眺めたアカヤ崎だ。とは言っても、大岳山上から見えない小浜島内の場所は限られているので、眺めていない場所に行く方が困難なのだが。
 島の北西に位置するアカヤ崎は私有の牧場になっており、「ちゅらさんの木」はここに立っている。アカヤ崎はは岬全体が私有地内であるから、一般の観光客が立ち入る事はできない。そこで……かどうかは知らないが、すぐ近くの小高い丘(標高約50m)が展望台となり、その頂上からちゅらさんの木を眺める事が出来るようになっている。
 一応解説しておくと、ちゅらさんの木は主人公恵里が幼い時代に出会った和也という男の子が、持病で死んだ際、将来人生を共にする事になる和也の弟・文也と共に植えたガジュマルの木である。
 しかしストーリー展開と撮影の都合上、生長の状態を反映させなくてはならず、現在までに2回の植え替えが行われており、今植わっているのは3代目という事になる。初代は小浜小中学校のグラウンド、2代目はこの展望台のすぐ下の駐車場に植え替えられており、これらはすぐ近くで眺める事ができる。僕たちも、2代目の木と記念写真を撮ってから展望台に登った。
 ちゅらさんの木が見えるのはともかく、ここからだとヨナラ水道の様子が手に取るように分かる。西表島と小浜島の双方から張り出した珊瑚礁が途切れ、水道の真ん中辺りだけは線を引いたように海の色が紺碧になっている。ここで水深はぐっと深くなり、マンタをはじめとする回遊魚の通り道となるのである。
 積乱雲の発達した西の空を支えるように西表島の山々が聳え、濃緑の樹々が繁茂している。こうして遠くから見ていると、この島がほんの数十年前まで、人の住み着く事の出来ない疫病の島だったとは、とても思えない。しかし事実として、戦争中でさえ西表島のマラリアは猛威を振るっていたのだ。
 その西表島の海岸線が曖昧に珊瑚へと続き、ヨナラ水道を経て続く小浜島の稜線に、ちゅらさんの木が風に葉を揺らせている。人工的ではあるが、ここにこの木がある事が、絶妙なアクセントを与えている。今まで日本中を旅してきた経験上、人間の手など加えられていない、自然のままの景色が最高であるとは思っているが、僕だって人間だから、時には余りに人間的だとは思いながらも、その景色の美しさに惚れ込む事がある。橋や風力発電機などはその典型であり、美しいプロポーションの橋梁やプロペラは、一流の芸術品に優るとも劣らないと思っている。
 ちゅらさんの木は有機物だからその点が少し違うが、それでも、画竜点睛とはこの事かも知れぬとさえ感じる。
 低木が牧草地を所々覆う中に、一本だけ姿の良いガジュマルが育つ。どんな美しい庭でも、この美には勝てないだろう。僕が思うに、これが人間による自然への最大程度の干渉なのだろう。目に入る広大な景色の中に、牛を飼う為の牧草地と、恣意的に植えられたガジュマル以外は人間の姿が入ってこない。それが、やはり人間である僕の心に響いたのかも知れない。
 振り返ると、先程まで居た大岳が聳えているが、西表の山を見てからこちらを見ると、その規模の小ささが分かる。ほんの小さな丘という感じで、頂上のすぐ横に立っている電波塔の方が高さに於いて、より目立つようにさえ思う。
 人の手の入った光景にこれだけ讃辞の句を述べた僕だが、ここに人の見にくい姿が入るともう耐えられない。折しも、ちゅらさんの木を舞台に、「ちゅらさん3」の撮影準備が始まった。機材が軽トラックで搬入され、怠そうに動く人影がちらついただけで、画竜点睛のガジュマルは生臭いメディアの手先へと成り下がってしまった。さらに追い討ちを掛けるように、展望台の上には出演者たちの追っ掛けらしい者共が登ってきた。言動を見ているだけで嫌悪の情を催すような奴等ばかりだ。
 こうなると、いくら景色が美しくても吐き気さえ起こしそうな気分になる。こまうさぎ氏も僕と全く同じ事を思ったらしく、主人公たちがちゅらさんの木に着くのを待たずして僕たちは展望台を後にした。

 今日最後の目的地は、小浜島の最西端・細崎(くばざき)である。この展望台からは5km弱あるが、自転車なら何の事はない。
 僕は高校3年生の頃、受験勉強による睡眠不足のためによく学校で昼休み、食事した後で20分ほど眠る習慣があったのだが、その際、実に色々な夢を見た記憶がある。20分ではレム睡眠しかできないからであろうが、その中に、小浜島をバスで巡る夢があった。トンネルを抜けると、なだらかな谷であるが、道路は斜面を下らずに橋梁でその谷を渡ってしまう。斜面には柔らかそうな草が覆い繁り、牛たちが草を食んでいる。僕はバスの中で、この谷が火山によって造られたものである事を話した後、「これが小浜の大地溝帯や!」と言い、乗客たちも大きな拍手をする。夢の話は説明が難しいが、どうせ支離滅裂な内容なのだから充分に分かって頂けなくて当然だと思う。
 実際にそんな場所は無いのだが、近い場所はあった。アカヤ崎から細崎への中間地点で、道はアカヤ崎−大岳と続く丘陵帯から細崎の丘陵へ向かうのだが、その間で一旦30m程下り、25m程上る。道はその斜面に沿っているのだが、ここに橋を架けたら、夢の中の光景に少し似ているかも知れないと思った。
 この坂を上った辺りからもちゅらさんの木はよく見える。護岸されている海岸が見えるのは不満だが、海を隔ててアカヤ崎の全容を眺められるので、暫し自転車を停めて見入った。

 細崎に着いて、漁港の波止場に腰を下ろす。
 波止など要るのかと思いたくなるような遠浅の漁港で、かなり先まで海底の砂地が透けて見えている。西表島が目睫に見え、小浜沿岸の珊瑚色と、ヨナラ水道の碧との対比が見事である。
 僕たちは暫く、この長閑な漁港で休息を取った。長らく過ごした八重山とも、もう別れの時が近付いている。その時刻を惜しむ気持もあり、静かな時間の流れを噛み締めながら、脳裏にこの旅の思い出をフラッシュバックさせた。
 直射日光が当たっているのに、さして暑さを感じない。潮風や海に囲まれた地形などが多分に関係しているのだろう。

 細崎を後にしてヴィラ・ハピラ・パナへと帰る。自転車を走らせながら片手でカメラを構え、移りゆく風景を撮るが、何処を撮っても絵になる。多少の人工物が入っても、気にならないのが不思議である。
 しかし、風景は変わりゆく物だからこそ美しいのであって、写真の中に固められてしまった物は、もはや美しさという概念を失っているように思う。目に映る輪郭は計算によって求める事のできない流線だが、写真に投影された輪郭は完璧に計算し尽くされて彫鐫(ちょうせん)されたラインになってしまう。無論、前者の方が人間の追い求める究極の美に近いはずだ。
 ヴィラ・ハピラ・パナに戻ってフロントに預けてあった荷物を取り、暫しさんぴん茶を飲みながらこまうさぎ氏と話していると、連絡船に接続するバスの出発時刻となってしまった。八重山の自然も暫く見る事ができないと思うと、胸の内が空虚になるのを覚えるが、これも旅である。

 小浜港から連絡船で石垣に渡る。もう波も高くないので、来た時のように竹富島を迂回もせず、すぐ石垣に着いてしまった。土産物屋で時間を潰し、石垣空港行きのバスに乗り込む。内地と何ら変わらない石垣市内の街並みでさえ、今は愛おしく思えてくるのが不思議である。
 飛行機に乗るのは実に久しぶりだ。高校の修学旅行……とは言っても僕たちの高校では1年生で行ったのだが……以来だから、4年半ぶりである。大学に入ってから、北海道にも九州にも年1回以上のペースで行っている僕だが、どちらも鉄道以外は使わないので、未だに飛行機に乗るのは慣れていない。空港にもフライトの1時間前に行かないと不安である。
 今回も少し早く着きすぎた上に、搭乗予定の飛行機が延着し、出発ロビーでかなり待たされる事になった。
 石垣空港に斜陽が差し始めた頃になって、漸く搭乗が始まった。JTA(日本トランスオーシャン航空)の双発ジェット機に乗り込む。エプロンからターキシウェイを通って芝生の中の滑走路を端まで進んで回頭すれば、いよいよ離陸だ。地平線に沈みかけた太陽が眩しく今日最後の光彩を放つ中、ボーイング737型はエンジンの推力を全開にし、一気に加速を始めた。
 後ろ向きに強い加速度が掛かり、徐々に前輪の浮くのが感じられたかと思うと、急に滑走路が下方へと滑り去ってゆく。離陸の瞬間だ。
 石垣全日空ホテルの建物が左翼の向こうに見えている。機は那覇空港へと向かうべく、左にほぼ180°の旋回を行う。上昇と旋回による傾斜で、海面があらぬ位置に見えてくる。左側の僕の窓からは、全面に海が見えるようになった。遠心力が働いているから、斜めになっていても体まで左に傾く事ないが、一面の青なので見ていると吸い込まれそうになる。
 石垣島の上空を出外れたところでようやく旋回が完了し、機は本島の方角を目指す。暮れゆく石垣島の島影は淡く、リーフに砕ける波だけがはっきりと白い筋を描き出していた。間もなく島は薄雲に隠れ、後方に消え去っていった。
 さらば、八重山。

 高度を上げるにしたがって、石垣ではもう暮れていた太陽が再び顔を出し始めた。理論的には理解できていても、実際に沈んだ太陽に再び出会う事になると、感動的である。水素を用いた気球で初めて飛行したジャック・シャルル博士(高校物理で習う「シャルルの法則」の発見者)は、その印象記に「この日二度目の日没を見た」と書いているが、当にその通りだ。
 雲は二層に分かれており、上層は飛行機の飛んでいる高度から考えるに、大体高度10kmで、主に巻層雲などの薄雲が主体。下層は積雲で、この高度は5kmというところか。我が飛行機はそのちょうど中間の高度、機長の放送に依れば約7kmのところを飛んでいるらしい。遠くには高く発達した積乱雲が見られ、オレンジ色に輝く地平線上の空に立ち上る噴煙のようでさえあり、上層の雲と下層の雲を繋ぎ止めているかのようだ。積乱雲は高度2km辺りから10km以上の辺りまで高く聳えるので、このように見えるのだろう。
 下層の積雲は綿状の小さいものばかりで、まだ陽光残る高度で形を変えながら流れてゆく。翼に反射した陽光が眩しく、雲海にも斜陽が反射している。
 こうして上空から海を眺めるのも悪くないと苦笑いする。
 太陽という恒星からの照射をちょうど良い具合に受け、水と酸素を大量に蓄えた惑星、地球。
 その大いなる姿は、この高度からでも充分に見渡せる。宇宙から見れば、それはそれは美しいに違いなく、たかが高度7kmやそこらで何をほざくかと思われそうだが、間もなく眼下には典型的なフリンジング・リーフ(裾礁)である多良間島と水納(みんな)島が見え始め、僅かばかり弧を描いている地平線が深々とした赤に染まるのを見れば、この地球という、多くの奇蹟の上で知的生命体を誕生させた地球の美しさに畏敬の念を抱くのは当然のように思う。
 二層になっていた雲は消え去り、水納島は紫紺の海に抱かれながらその輪郭をほんの僅かだけ浮かべている。上空はまだライトブルーだが、後方に流れ去った雲の辺りはもう夕暮れの色濃く、雲海と海の境さえ分からない。
 間もなく、太陽は地平線に没した。水納島の島影も、海の中に埋もれてゆく。嗚呼、これぞ日没というものだ。

 宮古島の手前で一面の雲海の上空を飛んだが、伊良部島が見えてくる辺りでまた雲が切れたので、眼下に宮古島を中心とする島々が浮かんでいるのが見えた。中でも、池間大橋の白い姿までが微かながら視認できたのには、少しく感動した。与那覇湾の特徴的な地形や、世渡崎に続く北部の半島の姿なども、何度も地図で見た通りで、実に爽快であった。
 那覇到着を待たずして西の空の巻層雲が高空に落暉の色を映し、地平線が幻想的としか表現できないグラデーションを描き出し、8月19日は暮れた。


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